
私事で申し訳ないが、あの大学の汚い下宿でオフコースを封印し、聞かなくなったそのころから
怒涛のように。いろんな音楽が僕に押し寄せてきた。うずもれるように。
中でも、同時期すこしあとからでてきた、サザンオールスターズ、アルフィー、次から次から
洋楽も、大滝詠一も、もう、忘れてしまうほどの音楽が多様化していった。
サザン、いまも現役、いまもグレート、売上枚数は、累計するとオフコースの何十倍になるだろう。サザンとオフコースを比較すると、ぜんぜんちがう、もちろん、サザンはロックのバンドでコンセプトも、60年70年の歌謡曲に影響されているロックであるとおもう。なによりも
桑田の歌い方である。彼の歌い方は歴史的なであり。日本語を♪にのせることを容易にしたのである。しかし、サザンも30年近くやってきて、メンバーも入れ替わり、影の問題もあるし、
なによりも時代時代に応じて変化してきた。そして、彼らのすごいことは、息の抜き方をしっているのである。がーっと、やって、少し充電して、もしくは、ソロ活動にはいり、他のものは
他のアーチストの活動に参加したり、実に、ヨウリョヨク、うまい、
比べて、オフコース、要領がわるいのである、とことん、やってしまうのである、煮詰まるまで、小田さんが、まずいけなかったことは、社長でありリーダーであった。オフコースカンパニーをやる上で、周りか見えなくなることを予想すべきであった。
お金のことと、次のLPの歌のことは次元がちがう、マネジメントは、上野氏にまかせていられなかったのだろうか?
オフコースカンパニー当初は、資金不足になき、一本2万のCMの音楽でくいつないだり、
ラジオのレギュラーをやったり、必死だった。
まず、ぼくは、いっておく、そういう、オフコースが大好きである、
ぼくも、自分は要領が悪い、あとで、そうか、きずいても後の祭りということがある、
もし、Lpや曲作りで、鈴木康博が悩んで、モラルを落とし、やる気が失せていたら。
そのときに、小田さんは、察知すべきであろう。あああ。そうか、じゃどうしよう。
小田さんのあの前後の感じでは、なんか、孤独の風を吹かせ、腕を組んでいる。
話が少し違う展開なので、戻すと。
オフコースが残したものはたくさんアル。彼らが華々しく解散したからこそ、残ったもので。
ずっと、オフコースが変化して残っていたら影響してないかもしれない、
いまの、オフコース世代、そのひとり、佐藤竹善である、かれは、ずっと、オフコースのコピーをしていたそうだ、先日の、平井堅のニュースでも、彼はこころから、オフコースを好きだったといってる、しかし彼らは、いまはオフコースがいないので、小田和正に求心を寄せている。
じつに、そこんところが、小田さんの不可思議な表情の中に読み取られる、
オフコースいこうる。小田和正、ではないのである。
オフコースは、メンバーと取り巻きをいれてのオフコースというものなのである。
オフコースがいたからこそ、武道館を目指す人々が増え。自分たちで曲を作ってゆくことの模範となり、自分たちでやるという仕組みもあとで真似たやり方が増えてゆく。
オフコースに影響された少年たちの音楽をいま、たくさんのひとびとが聞いている、
それなのに、小田和正だけがスポットライトに当てられて、あとの人々はどうなんですか、
といいたい。たしかに、小田さんはすごい、僕も大好きだ。小田さんの歌からオフコースを知るという逆の現象もおきている。
偉大なるオフコースのいいとこだけ、小田さん。やってはだめと思うのです。
LOOKINGBACKでリバイバルさせたり、コンサートでやるのなら、たしかに、自分の歌だけど、偉大なるオフコースの歌だということを再認識させるためにも一度は再結成させるべきとおもう。ヤッさんもそう、同じ事をしている。
それほどに、みんなはおもってないよ、どうもおわれてもいいじゃない、
出会いもわかれもしらぬままに、ここまできた彼ら5人、
なぜに、5人が出会って必然的に、ああなったか、いまさらながら、5人がそれぞれの影響しあうことはあっただろう、。
偉大なるオフコース、昨日の事のように、流れる歌のように、もう一度。やれば。
(べんとうや)