雑感 2010 1.1


元日の子供たちが遊んでいる風景を見るとき
この時間が貴重であるんだろうな、と思った。そういう時間が奪われた
吉川家の人々。
誰しも、人の不幸は対岸の火事のような感覚でしかない
しかし、この世界は誰しも常に被害者になりうる危険性をもっている。

ゆりちゃんが行方不明になり、かなりの時間がたつ、

捜査に関しての問題を疑問を持つべきである。
なぜ、解決できないか、そこが大切である、
限界を超えた事件が多すぎるのである。
量的にも、質的にも、もしくは壁であろう。
いろんな壁が捜査員の前に立ちはだかる、たとえば、個人情報
などの保護、国家間の壁などである。

ぼくは、この事件は完璧だとおもう、
犯人にとって、そういうことは個人の変質者に可能であろうか
偶然に成功したとしよう、しかし、
こういう反社会的な犯罪を犯すものはIQが低いので
必ず、再犯をする、しかし、そのような事件がおこっているようすがない

一人では出来ないが、数人で行えばできる、
見張りを立て計画すればどうであろうか、
ぼくは、そうおもう、必ず数人でやった、申し出ないその日の車両は
三台とも犯行車両ではないかとおもう。

また、いつか、どこかで起きるであろう
反省をすべきてんを見つけ、捜査を考えなおすべきとおもう。