<奈良女児殺害>小林被告に26日判決 遺族が心境
2006年09月25日
事件から1年10カ月が経ちますが、私達の気持ちはいまだ癒えることがありません。家中どこを見渡しても楓の元気な姿が目に浮かんでくる毎日です。ただ、下の娘を心の支えとし、家族で力を合わし、一歩ずつ前に進んでいく日々を送っています。楓の部屋は姉妹二人の部屋ですが、今も楓が使っていた当時のままの状態です。
判決を目の前にし、気持ちの落ち着かない日々が続いています。判決を聞き、一つの区切りとしたい気持ちはありますが、どのような判決が下されようとも私達の悲しみが癒される訳でもなく、楓が居なくなった現実を改めて感じなければならない辛い気持ちとが入り混じっています。
下の娘は、今も楓が帰ってきて欲しい、楓と会いたいと心の底から願っており、お空に向かって「楓ちゃんが帰ってきますように」「楓ちゃんと遊べますように」と祈っています。もう会えないことは何となく分かってはいますが、信じたくない、現実を受け入れたくない気持ちで心の奥深くまで傷を負っています。
楓の事件後も広島・栃木など色々な所で同じ小学生が命を奪われるというニュースを見るたびに心が痛い思いをしています。輝かしい未来を持つ子供が犠牲となるのは言葉では言い表せないほど悲しくて、辛い気持ちでいっぱいです。
子供を守る取り組みは子供を持つ親だけでは限界があります。地域一丸となって子供達を温かい目で見守っていく事が安心・安全への第一歩であると思っています。何も起こらない為の取り組みであり、継続する事は大変な事ですが私達の様な悲しい思いを誰もしない為にも子供を守る取り組みが広がり、継続されていく事を願っています。
(遺体発見現場には)何回か足を運び花を供えて手を合わせました。今もなお花を供えてくださる方が絶えない事は嬉しい限りであるとともに、私達にとって力強いことです。
判決には楓の写真を胸に抱いて楓と共に聞くつもりです。公判中の小林被告は反省の色もなく、私達から見て悪い事をしたという意識がまったく感じられませんでした。事件当時からの「極刑以上の刑」という思いは今も変わっていません。小林被告には少しでも真摯(しんし)に受け止める気持ちで、判決に臨んでもらいたいです。」
楓ちゃんは、ずっと、あの時のまま、
ご両親も、時は止まったままであろう。
あまりにも卑劣で無責任、反社会的。
なんのために、人は生きているのだろうか?
小林薫は、死刑にしてくれと、裁判長に手紙をかいたらしい。
考えてみれば、宅間の事件、以降。
もしくは神戸連続児童殺傷事件以来。
歴史的な悪魔的なあの事件で、世の中は変わった。
「この国の、明日は、どうなるのであろうか?」
頼るもの何もない子供たち。弱くて、かわいい子供たち。
おかしい、何かおかしい、本質的な、欠落した、退廃的な、社会。
人を愛する。人を愛することを知る、愛されることを知る。
愛する人を守ることを思う。いつも、こころに、誰かが宿り
守ってくれてる実感を持つ。
人を憎む、憎むことを知る。なぜ、人を憎むようになるかだ。
人に裏切られたり、騙されたり。暴力に逢う。
楓ちゃんの心は清く、人を憎むことや恨む汚れてない精神であったろう。
両親の愛は、無償の愛、果てしない気持ち。
引き裂かれ、地獄に落とされた。
おかしい、なぜだ、
なぜこうも、今、日本は誰も、声をあげない?
権利や自由は、たからかに叫ぶくせに
「人の不幸は、知らず存ぜぬ。」
民主党、自民党、おまえら、いったい、どういう国をめざしてる?
地域の子供の治安は、パニック状態です。
先日の、川口の交通事故。
子供の列に突っ込むワゴン。繰り返し起きる事件。
この事件の本質は、みいだされていない。
通学路の安全確保、ガードレールの設置。裏道の通行禁止時間の設定。
やることはやまほどあるはず。
で、小林の事件のことだが、あれから、日本政府は何をしてくれたか。
具体的に思い出せない。捨て身の病んだ反社会的なサイコ野郎は、まだ日本のどこかに
たくさんいるはず、では、どうやって、彼らを犯罪から抑制するのか?
具体的にやればできることはたくさんあるはず。
やってない、それどころでない?選挙のときだけ?
もう、税金払う価値ない、といわれないような強権な行動を実施すべき。
「 つぎに、またおきる」
日本は、アメリカのような国になっている。ピストルがないだけ