
中島みゆきのCMを見て、驚いた。めったなことでみれない中島みゆきをサッポロ生絞りの宣伝でみた。何回見ても驚く。たれ目の目は欽ちゃんを
思い起こすが、目がねもいいんだね。あのしゃべりかたがまたいい。北海道弁の・・・。
あの時はまず、驚いた。ヒットをばんばんとばしてでだしのころ。MBSラジオの野球中継オフシーズン番組の「ラジオムミュージックまがじん?」
だったが、金曜日で確か生。わざわざ、北海度から大阪の郊外の千里のラジオスタジオまできていた。そのあほみたいな、トークに度肝ぬかれた。
当時、高校一年だったか?もうすでに、中島みゆきの失恋恋歌はかなり流行しており、さぞかし、
暗いやつだとおもっていたが、なんと、すごく明るい人間だった。今思うに、受験勉強をしていたわれわれに、励ましのエールだったのだろうか?
関西ローカルのラジオで、関西独特の地名の読みができず、放送局の地名、「吹田市」をどうしても、「ふいたし」と連呼するのは笑えた。
中島みゆきの歌は、当時ほとんどLPを所持しだしていた。なかでもいまでも感動に値するのが、
「 狼になりたい 」
彼女、中島みゆきのうたは、小説のような情景がよく浮かぶ。 出だしの
「 夜明けまじかの吉野家では・・・」
牛丼屋で見られる風景を歌にしたこの作品はこの歌を聴くたびに情景が浮かび、最後のバイクが
海岸を疾走する風景が浮かぶ。この歌はよく、鶴瓶が人気のラジオ深夜放送ぬかるみの世界でよくかけていた。あの当時の若者の鬱屈した思いをよく表現しているのだ。あのときの気持ちがその歌で出てくる、化粧が崩れた水商売のおんなと
多分やんきー風の若者と労働者風のおやじ。
彼らの雰囲気がすごくでてる。
一番最初の画像で出てる、若いみゆきはぴちぴちと純真そうだが、あの人々の心を裏を読み取るのはほんとすごい、「 時代 」で、彼女はグランプリをとりスターダムにのし上がるのだが、
先ほどのラジオが終わると、あんと、オールナイト日本のパーソナリティのなった。全国の受験生たちはその馬鹿声にどき藻を抜かれたに違いない。またたくまにファンがふえ、彼女のベースのファンはこのときのラジオリスナーがおおいとおもう。
弱い女の時代から、洗練された恋の女の時代になっていきすこしずつ、中島みゆきの音楽も変わったようになってきたように感じてしまった。
いまでも、あのときのレコードやカセットを聞いてみるとこれまた心を打たれるのだ。
あのころに戻る自分と、いまでも色あせないすばらしいLP。どうしても、いまのヒップホップ系の音楽はお経のようにかんじてしまいなじめないいまの音楽。ああ、そろそろ着たな、俺。とそうおもうときに感じる。なるべく、新しい音楽にとけこめるように努力してきたが40代半ばを迎えた自分は
念仏となえる、どこが魂やねん。レコードをきいきいいわすなぼけ、とおもい。きらいですね、
中島みゆきはほんとにいい。むかしのLPを聞くほうがいいと世代間の隔壁を作り上げてしまう。
オールナイト日本は人気がでまくり、かなり長い間やっていたようだが、先ほどのレイブドアほりえぼん事件の買収問題のときに、今後、もうANNと
ニッポン放送にでーへんぞ!と、コメントを発表したときは心のわだかまりがとけた。
先ほどの「狼になりたい」がはいった、LP「親愛なるものへ」はほんとにいい作品がはいってます。
「 タクシーっドライバー」もいいですね、このころから 「寒水魚」までは、どっぷりとみゆきいの音楽にひたりながら僕は大学生になりました。
もう、20数年まえ、時代は暗い、重厚な時代から
軽い軽薄な時代になり、別ページでものべた、
中島みゆきは暗すぎるバッシングをよくうけたもの。いつしか、あまり聞かなくなり、LPもカセットも
実家の物置にその後20数年眠ることんになった。その後、かずかずのヒットもだし、夜会とかいうコンサートも精力的にこなし、いまだ、独身?
流石である。プロジェクトXのうたもいいですね。
みゆきのうたは、魂がびんびんはいっており、
でも、あの紅白のトンネル事件のときはぼくとしても大いに緊張した、あのトンネル自体もすごいパワーがあり開通するまでたくさんの男が死んだ。
中島みゆきファンとしては、あの歌を少し間違ったのが自分がまちがったように冷やせをかいた。
もう二度とでないでおこう、思い出にしようとみゆきはそうおもったろう。
LPから味気ないCDにかわっても、走りつづけるみゆき。いつも、どうしてるんだろう?とおもっていた。そしたら、CMにでてる。それがほんとに驚いた。高校のときにみゆきのラジオを聞いたときの衝撃をおもいだしたまで。
2005年11月17日 2:42:57
長谷達夫

親愛なる者へ
1979