長崎の男児殺傷事件から3年 何か、変わったのだろうか?

神戸連続児童殺傷事件が14歳の少年の犯行で、この事件が12歳の男子の犯行で世間が震撼した。あれから、3年経つ、この事件ではいろいろは報道がなされて、アスぺルガー症候群が加害少年にあり、その件で偏見が生まれた。
それは発達障害といわれ、「知的障害がない自閉症」といわれる。
3年たち被害児童のお父さんは手記を出した。
その内容は「 裁判の経過原因の開示がおこなわれず、社会の不安となる。」
という意見が乗っていた。加害少年の親には、問題が多く3カ月間逃げ回っていたらしい。親のあり方の非難や報道は、あまりなされない。
それは人権保護というわけのわからない理屈からである。
被害児童はこの少年にであわなかったら、平凡な幸せな人生をおくっていただろう。この偶然にであうことなく犯罪を犯すことさえできなければ悲劇は生まれなかった。
長崎新聞さんがこの事件を追い、貴重なものがのせられている。
しかし、心の闇はそのままだ。罪の意識がなく、命の重みも理解してない様子であるという。
この加害少年のような人間が増え、大人になれば大変な世の中になるであろう。
12歳の極悪非道な人間は、何のために生まれてきたのであろうか?
彼の中には自分という意識がないのだろうか?
脳の中には、反省をうながす器官があり、「相手の気持ちを考える行動」が、普通の人には存在するはず。
たとえば、友梨さんを拉致し、どれだけ、本人と親、関係者が悲しみ、苦しみ
そういう周りの人々の気持ちを感じ取る脳が、欠落している。
なぜ、欠落するのであろうか?極悪非道人宅間や宮崎などは、同じくして最後まで反省することはなかった。些細な家庭での出来事の積み重ねが大事である。
親が親としてたらしめるべきものは、愛情である。悦楽的快楽的刹那的ないま、
自己愛に満ちた人間がおおい。自己愛といのは、自分のことしか考えられない人々。そういう人間が不幸にして、子供を作ってしまう、子供たちは自分が愛されず
性格を作り上げる体験もひどいものばかりで、結果、犯罪することで自己表現しようとする、
アスペルガーはほとんどのひとがそうであり、僕もおそらくいくからの行動はそうであるとおもう。まったく、この加害少年の事件や、神戸の事件は解決を見ていない。おそらく、だれも理解できないのだろう、分析はできても、じゃあ、どうあるべきだ。といわれても、責任ある発言を論理的に展開できないのであろう。
自分が12歳の少年のとき、どうであったろうか?暴力や性に対して、ある種の憧憬や興味は少なからずあったとおもう。しかし、人を愛することや、いわゆる初恋という感情もおきる時期、多感な自分の精神世界が展開し発展する時期。

3ヶ月間、逃げ回る加害少年の親。彼らの行動こそ、この事件の原因であったはずだ。彼らは神戸の事件のように、民事で賠償金でも多大な請求を受ける、
心理的経済的にも人生は破綻させるのである。
そこまでなるのなら、なぜにそうなったかを公表し、予備軍への教示をすべきはずだ、が、しない。
また、事件は起きる、かならず、ひどい事件が起きる、次からつぎへと今生は地獄の世の中になってゆく。だれも立ち上がらず、自分だけよければ、そう思い、
次のニュースの興味が始まり、前の事件は忘れる。

愚かなる人間。