松山千春にいいたい

ちーさまも来年でデビュー30年か。しかし、っずっと、いいたかったのは彼はいったい、何者になってしまったのかだ。
僕は、松山千春がすきで、というがあの当時の誰しもが彼の歌のとりこになり、しびれたものだ。ギター一本であそこまでしびれる歌はない。彼もラジオの放送が人気が出てきた。あったかいのである。
ファンを大事にするのである。久々にコンサートの模様のカセットに録音したものを聞いた。なんどもリクエストに答え、ファンには帰り木尾つけてかえれと何度もいう。そのやさしさは格別だ。
彼は貧しい家に生まれた育った話をなんどもラジオやコンサートでした。父は十勝新聞という新聞をだし、母は、土方・・彼がそういう、として泥まみれになったて、彼を育てた、となんども親この絆の大事さを教えてくれた。当時、彼はどんなにうれても忙しくなっても故郷足寄を離れなかった。札幌からもかなりある距離だ。北海道を愛し、足寄を愛した。僕の中のイメージはどんどんおおきくなり、北海道がだいすきになり彼にあいに20歳のとき足寄までいった。が、いなかった。
積丹の美国YHにくるという話でいっても合えず、コンサートの切符も即売り切れ。会える事はなかった。STVサッポロの「今夜はきめよう」
というラジオを神戸から必死に聞いていた。ANNも彼の忙しさに番組を
終わってしまった。
今から思い出すに。衝撃的なことは、当時誰しもが見ていたテレビ「ザ、ベストテン」に出たときの言葉がすごかった。何度も、何度も依頼しても彼は番組にでなかった。やっと、コンサートにでて、いった言葉が、 「 俺の歌は俺の歌。順位をつけるようなことは嫌いなんだ。」
出ない理由がわかった。当時における自分は理解できなかったが、いまにして思えば、すごく勇気のあるすばらしい意見であるといえよう。松山千春の歌がすきなのはほかの歌と区別して順番つけてるわけでない。確かに彼のいうことは正しい。
彼の当時のヒットした歌は、恋の歌がおおかった。また彼の高い澄んだ声がいいのだ。今にしておもえば、演歌的な要素があったともう。
それに、大地をテーマにした、北海度のイメージの歌が多かった。

自分も学生から社会人になり、ちーさまの音楽からとうざかっていた。
久々に見ておどろいた。サングラスに坊主頭。女性の恋を歌う、ロンゲの瞳のやさしい男が、やくざになっていた。おいおい200回である。
年取ってからぐれたんんか・・・
鈴木宗男騒動のときも、出てきた。松山千春が応援してる。おいおいおいである。確かに彼鈴木宗男は北海にとっては重要かもしれない、
しかし、政治の世界のどう見てもよくないイメージがついて回る。

僕たちの30年まえのイメージはどうなってるんですか?
確かにかれも悩んだのかもしれない、しかし、混乱します。昔のファンとして、本質的なものとして変わらぬものがあるのかもしれないし、彼の生き方は彼げ決めるものだが、ファンのイメージは完全に崩壊した。まだ、植毛している谷村やさだ、のほうがイメージを大事にしている
長渕もぜんぜんイメージはかわっているが、彼の苦悩や変質はファンは理解し今の音楽を許容している。し、きいいててリアリティがある。
松山千春が、風貌だけなのかもしれないが政治や社会について論議し参画するなら、むかしのイメージのファンは切り捨てられてるはずだ。だから支持されにくいとそうおもう。

音楽を愛するひとびとは、そこに求めるのは心の安らぎである。
躍動かもしれないが、それは若い世代だ。
ちーさまに惚れてコンサートで、きゃきゃいってた同世代の女の子はいまや母になり、40代になってる。今再び、あの歌が聞きたいとおもうだろう、いまの、やくざみたいな風貌を見ればがっかりすることだろう。

なぜに、サングラスなのか?浜田省吾はずっとはずさない、スタイルは30年ほぼかわらない。ON THE ROAD、最近までやっていた、そのスタイルは30年変わらず、ファンも父おやになったことでそういうテーマの歌もすごくいい。
松山千春を止めるものはいないのか?
総立ちロッカーの山下久美子が子供の絵本をかいたり、ギターのうまいいい歌作る北海道の青年がこわいひとになったり、イメージを錯乱させた人の歌はその後、売れないはずだ。
確かに、松山千春は、昔からラジオで説教していたし、きっちりとした
思想を持ってる。それは個人としてのもの。
しかし、あの時僕たちが彼の中に見出したものは都会の汚れた人間でなく、田舎のきれい心の人間だった。

「 銀の雨 」 いい歌です、情景が浮かびます、雨を銀色にたとえる表現はだれにもできない、その心の綾智を知る人もいない。

松山千春にいいたい。歌はもう辞めてくれ、政治家になれ。
サングラスははずせ。あまたはははげてもすこしでもはやしてくれ
スキンヘッドは嫌だ。

25年まえの彼の写真集