御影小学校 木造校舎
昭和45年ごろの木造校舎。
ぼくは、悪がきであったが、寛容な田村先生が大好きであった。
氷上校長先生も大好きであった。
藤棚がきれいであった。
中央に二ノ宮金次郎がいた。

蛍の墓で有名な御影小学校全景。この後ろには鉄筋校舎もある大きな小学校であった。いまは、震災後御影の人口が減りまた、子供も減りクラスがかなり減ったそうである。ぼくのころは5クラスありました。
木造校舎はぼろく、よくゆかから下が見えたりした。
天井裏にははとが住んでいた。しかし、いまみるとすごくデザインが優れており、貴重な建築物であったとおもう。
一番右端の野球帽の子供がわたしく、お父さんの会社の慰安で平方パークにいったときのもの、女の子が多くまたおばさん(しらない)がおおく、はしではにかんでいる様子。後ろのお店がまたすごくいいですね。。
木造校舎の前には樹木などたくさんありそのまえには卒業生の手形がたくさんあった。
六甲山もきれいにみえていた。多分、数倍あの頃の空は切れ勝ったように思う。
藤棚。きれいに咲いていた花たち、バックに家々は20年後阪神大震災で被害のおおきかったところである。
この藤棚はいまも健在のようです。
おどろきました。幹も太くなり。たくましくあんってるかな?
http://www.kobe-c.ed.jp/mkg-es/
現在の御影小学校。
体育運動会の倉庫。この上はプールだった。右端に見える家は岩下君の家。こいつはかなりわるがきで、転校していった。本高砂や野お菓子の看板もみえる。


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