鴨川のほとりの下宿の 話。1983

ぼくが大学の四年のときの話。
夏休みの話だ、
留年しなければ、最後の夏休み。

しかし、あのころ、30年前のころは
夏前から秋にかけて大学生は就職活動を行い、実質的には休みの気分とは
言い難いものであるが、普通はそうであるが、
ぼくはそうでなかった・・。

大学の前期テストは夏休み前におわり、
友人たちと下宿で話をしていた。・

「ああ、やっと、テストおわったなあ・・」
「単位とれるかな・・」

そういう話の中、友人のYがこう言い出した。

「あしたナ、日本海にバイクで泳ぎにゆくんだ!」
「へーー、ひとりでか?」
「ばかいうな!だれがひとりでいくねん・・・」

傍らの法学部の安藤が
「クラスのKさん、さそて、いくそうやぞ!!」

三人で
「へええええええ・・!」

「まあな、かえりに、カーブをきって、寄り道するかもよ!」
「どこに寄り道するねん・・」
「きまってるやろ!ははは!」

うれしそうだった。Y君。自慢の250の川崎のバイクで
クラスでも魅惑的なKさんをいつのまにか、誘っていたのだ。

大学の学食の隅で、タバコをすっていたKさんは
なんか、大人のかんじがしたもんだ・・。

大学の前期テストもおわり、暑い暑い京都の夏が佳境を迎えていた。
当時、どの下宿にもクーラーなんて気の効いたものはなく、
ましてや、古い下宿には、ぼろい窓をあけても
風ははいってこない。はやく、京都を脱出すべく
考えていた。ゼミ旅行と、自分ひとりでの北海道旅行。
めじろおしのスケジュールだった。もちろんバイトも・・。

下宿の階段は、裸電球ひとつしかなく、暗くてしかも、きゅうで40度は傾斜のある
古い木造だった。その階段の上に黒電話があり、共同でつかっていた。

そして、翌日の夜、大学の友人、やすえから電話があった。
「あのね、たいへん!Yくん、舞鶴で事故ったそうだよ!」
僕は驚いて、電話をきり、友人立ちの下宿にゆき、
相談した、Yくんの下宿の青山荘にもゆき、おばさんにもいろいろ聞いた。

翌日の始発で僕たち友人4人で舞鶴の病院にむかうことにした。
古ぼけた山陰本線の鈍行の客車にのり、4人はだまったまま・・。
「Kさんはどうなったんだろうか・・」
そこも気がかりだった。

なんとか、9時過ぎに病院につき、
足にギブスをはめ、つるしたYくんを見た。
「たいへん、やったなああ・・」
「3ヶ月やで、ほんま、たまらんわ、最後の夏休みやいうのに・・」
「どないしとってんや・・」
「トラックが急にでてきて、僕らのバイクに横からつっこんできて
 ぼくらは転倒した、」
「ほんで、あの、Kさんは、どうなったんた?」

「あの、Kさんは、捻挫ですんだ、ふきとばされてけど」
「そうか、よかったなあ、それでどこにおるんや」
「ひとりで、旅館にとまってるよ」

そういう話をしていると、足をひきずりながらKさんが
現れた。ぼくらは驚いて、席をゆずり、声をかけた。

「 だいじょうぶかいな・・」
Kさんは、うなずき、笑顔で答えた。
「私は大丈夫、きょうね、かえるから・・」
「帰るって?どこに・・」
「実家に帰る。」

ぼくは、驚いて
「実家って、和歌山やん!」

僕は少し考えて、
「ぼくがここから送ってゆくよ、足も捻挫してるし、肩もいるだろ」
みんなは、納得し、ぼくらを見送った。

しかし、日本海から太平洋までの縦断の旅は長かった。
舞鶴から大阪まで福知山線経由で特急にのり
二人で、並んですわり、旅が始まった。
あれこれとはなし、トイレにゆくのもついてゆき
まあ、中にははいれないが、
大阪駅についてからたいへんだった。
環状線にのりかえるにも階段をおり、のぼり、
そのたびに僕の肩や手をもち、のり、
新今宮で南海電車にのりかえるのもたいへん・・。
南海電車でもはるかかなた、和歌山はとおい

女の人と二人で旅行をしているような錯覚に陥り
また、なんか、えらい仲がよくなっていったのをおぼえている

南海高野線の中で話した。
「家には電話した?」
「うん、したよ、」
「駅から家までは一人でかえれる?ついていこうか・・」
「お父さんがくるって、お父さん、すごく、怒っていた」
「・・・・」
「気にしないで、お父さん、よく怒るの・・」
ぼくは、南海電車のなかで、そうか、当然だよな、怒るよな・。
Kさんが、怒られるのはかわいそうだなあ、と、思った。

もう、8時過ぎになっていただろうか、
九度山の駅についた。

ひなびた駅だった、駅の待合に、ひとり、背の高い
しゃつをきたこわそうなおじさんがいた。
「お父さん!」Kさんは、おとうさんに声をかけた。

ぼくは、すかさず、お父さんに話した。
「大切なお嬢さんを怪我をさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
ぼくは、頭を下げた、Yの気持ちを込めて、謝った、
お父さんは、何も言わなかった、
何も言わず、Kさんをつれて、暗闇に消えていった。
7時間の短い二人旅がおわり、
とぼとぼと、帰りのホームにひとりたち、大阪を目指した。
そして、下宿に最終の地下鉄でたどりつき、
下宿につくと11時40分ごろだった。

つかれて、そのまま、下宿で倒れこむように寝てしまい。
翌日の就職活動の会社説明会は参加しなかった、

電話で目が覚めた、
Kさんからだった。
「きのうは、ありがとう、おくってくれて・・」
「いや、それよりも、お父さんにおこられたかい?」
「うん、すこしね、」
「今度さ、会えるかな?」
「え、合えるって、ぼくと?」
ぼくは、すこしあせった。というか、
ぼくは昨日の旅のなかで、ほんのすこし、Kさんのことを好きになって
いたからだ、
「いや、あえない」無碍もなく言った。
「なんで?」
「いや、あえない、ひとり旅にゆくんだよ」
そんなことどうでもよかった、
女の子から会えない?といわれて、会わない、というやつもいないだろう。

それよりも事故したYと、付き合うことも考えられるのに
横取りするなんて、ひどい話だ、と、頭をよぎった。

結局、
夏休みがおわって、みんなでコンパにゆくときに
電話で誘った。

しかし、その後、Kさんは、わざわざ、Yの実家にまで遊びに行き
でも、付き合い始める様子はなかった。

そして、秋になり、Yはギブスをとれ、再びバイクにのり
ある日にバイトにでた、滋賀県のほうに
しかし、運命とおそろしいもので、
再び、横からトラックん激突され、骨折。
琵琶湖のほとりの病院に再び入院した。

ぼくらは見舞いに行き、
顛末を聞き、しかも、その病院の看護婦見習いの女の子と
彼はえらい気があって、付き合いだして、今に至る・

そして、30年後
あんなことがあったよな。
昔の手紙を読んでたら、あのことがKさんの手紙にかいてあったよ・。

そういう話を携帯電話でしていた。
「あ、今度同窓会あるから、Kさんのとこにも電話しとくよ!」」

Kさんは、結婚し、女のこが一人いて、
幸せにくらしていた。
でも、なにか、気になって、電話すると、旦那さんがでてきた。

「実は、病がひどく、参加できないとおもいます・・」

ぼくは、驚いて、いろいろ聞いたが、おもい病であること、
それから、僕は長い手紙を彼女の書いた。
そして、だんなさんから返事がきた。

同窓会でY君にそれをいうと、落ち込んでしまった。
同窓会の居酒屋の片隅にKさんが笑って座っているようなきがした。

「あのときの輝いていた嫁を思い、うれしく思いました」
だんなさんはこう書いていた、


2013年06月20日 木曜日作成