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地震があって、ヤンキーたちは改心したのかと思いきや
さすがに、学校、家庭、職場にも居場所は無く、
どんどん出てきだした。
バイクで走り回るのがたくさんいた。
あの事件が起きた、連続児童殺傷事件である。
あれは山二つ越えて起きた事件で、
そうとうみんなナーバスになっていた。
集団登下校が始り、テレビのワイドショーでは無責任な
うわさばかりながしていた。

そんななか犯人が見つかり、
なんと、中学生だという。世も末であると、思った。

その中学生が捕まって、須磨署の前から夜中中継があった。
日本中の人々が、驚き、嘆き悲しんでいるにもかかわらず。
その中継は異常だった。
中継してるひとのまわりに、ただ単に、テレビに映りたいがための
ヤンキーがたくさん、Vサインしているのだ。
よくよくみると、見たことのあるヤンキーだった。
あんな馬鹿な連中がガストの深夜の常連とは・・。

けんか腰で追い出す店長もいた。
やつらは、要するに反抗するのが仕事である。
馬鹿にされたり、すこしでも注意されたら切れるのである、
切れて、文句を言えば、相手はおとなしくなると思い込んでいる。

店長会議でも常々問題となり、ガードマンを導入する話まででている。
もと、警察OBを入れるとか提案がでていた。
たぶん、、ぼくはそんな予算は組めないと、できるわけ無いと
思っていた。

案の定、須磨の清水が丘というお店で、追い出されたヤンキーが
逆上し、社員を暴行し、警察がたになった。
やはり、そういうことをするやつの親も、どうしようもないのが多く
民事で片をつけて、刑事罰を取り下げさせるようにお願いしてきた。
前科がつくののと少年院送りになるからだ。

伊丹桜台の店長も、ヤンキーに顔を殴られて、縫うまでなったのに
刑事のえらいさんは、殴られた方の落ち度も言ってくる。

ヤンキーたちを追い出すのはいいが、それなら必ず深夜の時間帯に
社員を配置しないとならず、シフト上は無理になる。
もう、そのころ2人体制から、店長一人で運営しないといけない
ようになってきたので、張り付くことは無理だった。

すかいらーく時代は893などに悩まされたが
ガストでは、ヤンキーに悩まされるようになったのだ。

一番いいのが、こいつらのココロを掴むことだった、
しかし、そこを間違えるとたいへんなことにもなり
普通にしていれば、普通にするのだが、
やつらも、自分たちが嫌われてるかどうかは、肌で感じているのだろう。

余談ながら、
店で幅をきかしていたヤンキーのひとりを10数年にわたって
ぼくは見ていた、ぼくの辞めてからの店の客にもなっていたのだ。

やっぱり、どうしようもない人生を歩んでいた。
親もひどかったし、結婚しても離婚し、
ぼくらは、ファミレスというお店の、しあわせの家庭のお客さんばかりだったが
あいつらには考えさせられた、しわせな家庭ではなかったのだ

そして、自分が独立して店やってると
そういうことは一切なくなったし
ヤンキーはどこにも見かけなくなった。

95. 夢野 11