TOPにもどる
NEXT 目次に戻る
94. 夢野 10

震災の翌年、1996年は、本当に大変な年だった。
なんせ、結婚の問題もあったからだ、店はぼろぼろで2人体制に
人は採用できない、相変わらず売り上げはすごい。
このときの社員の相方は、大坪さんだった。
彼もまた、いろいろとある人間だったが、
仕事はまったくダメだったが、ここぞというときの責任感がない、
しかしだ、彼の言葉は刺さる物、考えさせられるものがあった。

人が取れないながらも、メインとなりうるひとが取れてきた。
Rさんという在日のひとだった。
彼女はよく働き、責任感が強かったし、信頼もできた。
しかし、人には強く出過ぎる部分もあって、反感も買うことも合った。
いつもアイドルタイムにくる、子供が居た、3人組で来て
ドリンクバーをまわしのみするのだ。
たいてい注意するのだが、素行が悪かった。
テーブルの呼び鈴、ベルスターを連打するのだ。
アイドルタイムで、忙しいとき、一人営業でなかなか動けない、
そういうときに、来て、連打を噛ます。
Rさんは、頭にきて、社員の大坪さんに訴えた。
大坪さんの明言がここで生まれた。
「お客さんであるのなら、なにをしてもいいと思ってるのか?
君らがそういうことをされて、どう思うのか?
人としてそういうことをして、どう思うのか?」
素行の悪い子供たちにレジで説教したらしい・・。

ぼくは、その言葉に衝撃を受けた、いまでも大坪さんの言葉は・・。
「客である前に、人である。人と人の対等な立場であってこそ、
お客様と従業員の関係がなりたつ」

ファミレスでは、
「お客様は王様である」
といった、思想が蔓延していた。当時の馬鹿上司があちこちでいう。

ぼくは、王様にしてはガストでは食い逃げはするわ、騒ぐわ、備品売店商品
をもちかえるは、とんでもない、見たことも聞いたことも無い人が
現れ、その言葉を有り難く感じた。

大坪さんは、すかいらーくは、人を大事にしない。
とも、言い切った。
これには、ぼくは反論したが、
数年後、過労死問題が起きて、店長が2人死んだ。
もっともなことだ、と、思った。

大坪さんは、秋になり異動した。
代わりに、大川原さんは、社員をくれた、こいつはよくできる。
そう、思った。
そして、とうとう、大川原さんも異動になった。
大川原さんを二回も見送った。
あとにもさきにも、仕事のスタンス、考え方は
尊敬するはげだった。
そして、ぼくは、34歳で結婚をした。
結婚休暇は2日しか、取らなかった。
震災の余韻があり、ジミ婚であった。