このM事件だけは、ぼくにとってはこの店での3本の指に入る事件であった。
Mというのは、大学生のフロアーの男で、寺坂時代からのバイトであった。
動きははやいのだが、私語が多く、癖があり、女に目がないのであった。
よくよく考えてみると、ぼくが居た店では
ほとんど、この手の、女の子にちょっかいを出す、そのために
働いてるような輩は、ほとんど居なかった。
伝票を見て、
「こいつ、よく食べるな、」
「どんだけ食べんねん・・」
そういう言葉を吐く、たまたま、忙しいときに
大川原さんが居て、その言葉に驚き、
注意し、ぼくにも、あいつどうにかしろ、といわれた・・。

だんだんと、ラインを減らしてゆき、年末にはほとんど入れないように
していった。本人は、別のバイトの面接にいき、
もう内定をもらっていたようだ。

これに絡むのが、女の子のKさんという短大生。
この子が、まあ、最初はキッチンの岩崎くんというのとつきあっており、
この岩崎君も女にはめがなく、まあ、両者とも持てるようなタイプではなく、
がつがつしていただけだが、そのあとによせばいいのに、Mに言い寄られ
つきあいだしたのだ。

岩崎君にすればMをばかにしたところがあったろう
、彼は素直でよく働くが、口が悪いとこがあった、
キッチンでしげというのがいて、この高校生は動きが悪く
いつも、岩崎君に馬鹿にされてたところがあった。
まあ、このしげにもいろいろ問題があり、
このしげのおかんが問題で、仕事中にかってにサービスエリアに
入ってきて、息子と無駄話をしており、ぼくにもにらみをきかし
注意するどころではなかった。


大川原さんから生産性をだせだせ、言われてるので
1996年の春はあまり採用しなかった、

GW突入し、このしげとM, Kさんが、スケジュールそれぞれ
8時間も入れているのに、無断で休み、逃亡したのだ。

あとあと思うと、GWだけ、岩崎君を呼んで入れていたのが
嫌だったようで、時既に遅く、GW初日は、営業不能になった。

Mの家に何度も電話し、母親にもいったが、らちがあかず
探し出そうとした、Kさんのアパートにいき、待ち伏せをして
捕まえた、
2人は驚いた様子であった。
「おまえら、どうするねん」
2人は下を向いて黙っていた・・。
何も答えない・・。

ぼくは、しびれをきらし、
「もうええわ、」
といって店に帰った、三本の長いラインが消えて
ぼくも居なかったので、店はぼろぼろだった。
23時に勝手に店を閉めた。
それから、翌日から穴の開いたスケジュールをどうするか悩み。
伊丹瑞穂店で元いた連中を4人無理矢理入って貰うことにした。
もう、彼らは卒業し、休んで遊びにゆくような感じだった。
ぼくは事情を話してきてもらった。
なんとか、翌日からはGWはなんとかなった、

早く閉めたのが他の店長が借り物にきて
それがばれて、大川原さんにチクられた。
大川原さんは、かんかんになって、電話してきた。
相当、怒っていた。
「おまえ、もう、降りるか?店長降りるか?」
ぼくは、そう聴かれた。
「いや、降りません、なんとか、します。今回はすいませんでした」

ぼくの死闘がそこから始った。
簡単にはいかない神戸夢野店はそこにあったのだ・・。

そこから、他のメンバーたちもしんどい、いやだとかいいだし
そういうのが連鎖しだし、ヤバイ状況になった。
問題はGW以降のスケジュールが穴だらけであった・・。

GWになると、この事件を思い出す、
本人たちはほとんど罪悪感もなかったようだが、
あの年末に絞ったときに辞めさせておけばこうはならなかっただろうし
そこは僕の判断が間違っていたのかもしれない、

しかし、Mの性格は酷いもので、これは父親の虐待から
きたものであろうと思います。
と、いうのは、親に殴られて、涙を流しながら
助けを求めにきたことがあったのです。
ぼくはそのときは、話をよく聞いてやったので温情というものがあり
彼のなかの良心までDVで飛んでるとはおもいもしなかった。