83. そしてあの時がやってきた。阪神大震災

94年の秋から、川西の能勢の山奥では群発地震が起きていた、ゴルフでいったときに

ゴルフ場の掲示板に群発地震に注意とあった、

今思えば、前兆であったのだろう、

あの夜はなぜか眠ることができなかった。

一睡もできない、朝方までビールをのみながらワンルームの雑然とした

部屋にいた。


あの瞬間に、まず思ったのは、飛行機が墜落したのか、

とおもった、伊丹の空港の近くで、真上を飛行機がとぶからです、

が、時間が早い、


突き上げるようなゆれだった、あの揺れはすさまじかった、

自分の体が、暴れウマに乗っているように、

「地震が来た!」やっと、気がついた、

長い間、揺れていたような気がする、停電になり、

とにかく、外に出てみよう、

自分の店がちかくにあり、火事をだしていないか、

怪我をしていないか、走って店までいった


5時45分すぎ、真っ暗なはずが、薄明かりが見えていた、


店までゆくと、社員の北井君がひとりのこり、パニックっていた、

「だしてくれ!!」

「大丈夫か?」

「はい、大丈夫ですが、店の中はさんらんしてます」

「ガスは大丈夫か?」

「全部閉店後で閉まってましたから、大丈夫です」

ぼくは、あわてて、プロパン室を覗いたが、プロパンは倒れず

ガス臭もなかった、


「地震やな?」

「どこが震源地ですかね?」

「どこやろ、大阪かな?」

「カーラジオ、聞いてみよ・・」


ラジオは京都の震源をいっていて、どこか震源地かわからないようす、


「はよ、家帰れ!嫁はんひとりやろ、」

社員を家に帰すと、ぼくは、自分の車に乗り、改めてラジオをつけた、


FM802のあの女性DJが混乱しながらも放送をしていた、

「どうやら、震源地が淡路のようです、神戸ではすごい被害が出ているという話です」


ぼくは、そのラジオを聴いておどろき、

車を発進させていた、自分の親の家が神戸だからである。


しかし、たいへんなことをぼくは忘れていた。

そのとき、あわてて、お店の鍵をかけず、そのままにして

車で神戸に向かったのであった。


伊丹から171号線に出るまでは、真っ暗だった、

武庫川の堤防沿いの道路に出て、軍行橋の交差点までくると、

信号は消えていた、おそるおそる、通過し、

171号線を西宮方面にむかう。


阪急の宝塚線の高架橋の171号線はのぼりになって大きな坂、

その坂を上り始めると、なにか、おかしいことにきがついた。

先に走る車が何台かユータンをしてくる、

おかしいな?なにかあったのか?


そうおもって、徐行してみると、

なんと、171号線の高架部分が阪急の線路に落下し、

数台の車も下に落ちていた、


たいへんなことになった、

これは、とにかく、親ガ生きてることを信じて

神戸に向かおう、そう、思い、

Uターンし、国道をさけて、間道の県道や市道をつかいゆこうとおもった、

信号はすべて消え、大きな交差点では

無秩序になりつつあり、衝突を恐れたのである。

171号線をもどり、西宮市民病院の筋を南に向かった。

日が昇り始め、つぶれてるマンション、ビルが見え始め、

事の重大さを感じ始めた。


2号線はすでにパニックになっていた、2号線をさけ、

43号線まで南下し、43号線のしたの浜街道をゆこうと考えた、

西宮の浜にはたくさんの酒造会社があり、数々の蔵があった、

が、すべて、ぺしゃんこだった。

行く道行く道、潰れた家が道をふさぎ、どこを同走ったか

気がつくと、芦屋川ちかくにきていた、

「ガスがもれてるぞ!」

誰かがどなっていた。

そういえば、すごくガスくさい、

しかし、どうすることもできず、その場を去った。


そひて、芦屋の親戚にまず、顔を出し、無事を確認し、

川沿いに北上した。


そして、43号線にでた


驚いた、あの驚きは忘れることができない。


国道の上にある、阪神高速が倒壊し、腹を見せて横たわっていた。


その光景は、大きな古代遺跡のような異様な風景だった、


高速道路の下敷きになったトラックが何台もあり、その中を白バイの警官が

覗き込み声をかけていた、白バイ警官は茫然自失の様子だった。



その後も全壊した親戚のことや、となりの家のひとを助けたり

店は半月休みで、ぼくは店と仕事どころでなく
飛び回っていた。

伊丹駅も崩壊していた。




今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

注意、このページはすかいらーく本部さま、会社さまとなんら関係のあるものではありません