子供が被害者に、 もしくは加害者に

 子供たちが受難の時代だ。まったくひどい事件がおおい。その昔は、少年が犯罪を起こすの急増したときがあった。
それは、終戦後。敗戦後のときであれば、動機や背景がりかいできよう、心が荒み、生活もあれて、親もいない浮浪時などが生きるために起こしたものである。
 では、なぜ今起きているのか、急増した背景はなんだろうか?
誘拐についての動機は、少しまえならほとんどが、お金目的であった。今は、陰惨ないたずら目的や殺害するだけの目的など、理解しがたい動機である。
 神戸連続児童殺傷事件、この事件は歴史にのこる悪名高い事件である。    
1. 少年が、14歳であったこと。
2. 少年法の壁で、罰することができない事実が露見し、犯罪を犯すものが増加し、結果、少年法改正のきっかけとなった。
3. マスコミが騒ぎすぎ、社会的不安になった。デマなどが流れ、神戸市西区などはパニック状態になった。マスコミの過激な報道で遺族は加害少年の審判に関与できないほどであった。
少年の人権もフライデーなどの顔写真などの報道もあった。コピーしもちあるく主婦たちもいた。
4. この事件がきっかけで子供たちが加害者、被害者になることがおき始めた。
風見鶏さんのサイトでは、詳しく述べられています。当時の事件の模様が、少年Aは社会復帰しその後、事件を起こす可能性は私は高いと思います。医療少年院そのものがどういうものかわかりませんが、殺人を犯した人間は許されるものではありません。
 長崎の男児誘拐殺人事件 この事件がひどい事件であったこを記憶する。長崎では、この1年前に、児童がカッターで殺傷される事件がおきたばかりであった。当時の学校の校長の混乱めいた会見は印象に残る。4歳の子供を言葉巧みに誘拐し犯行を及んだ少年の年齢は12歳であった。驚愕の事件であった。どこまで低年齢するのか、それと報道に控えられたことがあり、陰部を切断しようとして突き落としたことがあり、その陰惨さに、声もでない。

戦争を起こし、戦争で敗北をきしたシンドロームが、少年犯罪や
少女誘拐など事件を起こすのだと思う。
子供はいわば現代の投影された縮図であるといえよう。今の日本では価値感、思想、人生観、家庭観、などが喪失している。
戦後の焼け野原貧困から脱出する目的目標があった。経済でアメリカを負かすという思想があった、高度成長時期には、生活の豊かさの目標があった。その背景では、バイクをのりまわしたり、シンナーを吸ったり、不良少年という時代の申し子のようなものがあった。

しかしである、今思えば、それはわかりやすい、レッテルを貼られ、いずれ彼は、はしかが治ったように社会に迎こうし家族を形成してゆく、その時期が、不良と呼ばれた時代があるから、そのストレスの発散やその範疇での犯罪にとどまる、彼ら不良たちにもルール的なもののあり、組織としてのルールも少なからずあった。

いま、この少年陰惨事件には、ルールがない、わかりにくい。レッテルが貼られていない。周りの人は異口同音に、「 よいこだったのに」と口を揃える。それは、人間の表面でしか理解していないことと
その犯罪の多くが、表面上の人格でなく、隠された内面の人格が引き起こす事件であるからといえよう。

重大事件を引き起こす背景はいったいなんであろうか?
殺人という衝動は、どこからくるのであろうか?
有名なフロイトの「適応規制」があります。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/line6.html
総合心理相談サンのサイトから

自我という概念、自我の欲望という概念。そういうのが混沌として分別つかない時期に、それらの事件はおきてるのではないだろうか?
可愛い女の子がいたらいじめたくなる、という心理は男ならだれででも少年時期に経験があると思う、

犯罪を抑制するために法律を強化するにも限界があり、彼ら少年当事者は先のことなど考えずに事件を起こすことだろう。
だから、彼らに援助が必要なのだと思う。
少年時期に重大犯罪を犯すことがない鬱屈とした少年は、やがてすぐに10年もたてば大人になる、そして、友梨ちゃんを誘拐した。

家庭や学校が機能不全になる原因は、柱がないためだともう。
個人主義が全体をおざなりする行動が簡単な目的やイデオロギーの方が犯罪を抑止できているのだろう。

戦争で餓死することもかわいそうだが、子供が殺しあったり犠牲になる社会の方が、負である、われわれは、その社会を今生きている。どうにかすべきでないか!!