(旧)すかいらーくの思い出 本文へジャンプ

126. 監査という魔物 2


監査制度がはいることにより、考えない社員が増え、独自性を失う

ともに学び、ともに成長する、ほんとうにこれがいいことなの?と思わない人がふえるのは、洗脳されているか、それしか、知らないから、そこで止まってしまうから

まあ、よくよく考えてみると、思い出してみるとそういう意見などをずっと、持っていても聞いて貰わない、聞く耳をもたない上司ばかりであった。要するに大日本帝国陸軍とおなじなのである。
皆口店長が広島で吠えた。
「やればいいんだよ!」
考えずに言われたことをやればいいんだという考え、
そして、人事評価制度の悪変、あの時代、バブルの後遺症であった、
アメリカ的な、成果主義の方式を挿入し、年功序列制度は撤廃、
年齢給は45歳を上限に下がり始める、他社と比較を知らない社員は受け入れるしかない。問題は、その成果における基準である、正当に評価できるのかどうかが問題となる、そのために、監査制度がいち早く導入されたのであった。
いままで、頑張ってきても、この制度をクリア出来なければ、等級は落ちるのである、
等級制度もなくし、スター制度というわけのわからんことを言い出した、
やっとのこさ、5等級になったのに、もう、それは数年で降ろされてしまう。
ぼくは、もうだめだと感じた、
会社は四半期ごとに、業績を発表し、株価を安定させ上昇したい、
半期で改善しないといけない、短期間で業績を上げれる人財を欲しかったのだろう、
現場のことはほとんどわからないはずだ、エリアマネジャーもわかっていない、
現場にいるものしか、わかりえないのである。
「できないことをやれ」 そんな無理ジィをしても、誰もできないのである。
頭のいい、理解力のある、要領がいいもの、フェニックス店の中塚さん
彼は、本当に、長い間、すかいらーく時代、評価されなかった、
しかし、ガストになり、店長にやってなって、実は賢い人間とわかったのだ。
彼は、中途採用で、サラ金で働いていたという、いろんな人間や、その裏を見てる。
ある意味、世間をよく知っているのである。
彼は監査システムが入ると、得点分布に着目し、点の高いものからやり始め
点を取りやすいものをしはじめた、それに、いつ監査がはいるかを予測しあてた。
監査が入るときは、どんくさい人間をいれないといった、一軍を投入し
こんこんと、監査の得点について学習させるのである。
それで、結果は1000点で900以上を獲得していった、
ユニホームがきれいかどうか、
これは、問題が多かった、毎回クリーニングを出していたのではその費用が数十万に跳ね上がる。ぼくは、新しいユニホームをあげる代わりに、家で洗濯するというのを
伊丹瑞穂でやり始め、そのコストを下げるべく、夢野でもやっていたが
どろどろの服になるのである、キッチンはひどいのである。
彼は、綺麗なユニホームを常備し、
『監査がきたとき、これに着替えろ』というのを徹底させた。

同期の井上は、なんとか監査得点をあげたいと思い、何度も何度も中塚さんに
電話し、伝授してもらっていた、裏技とかいうやつだ。

要するにそれらは個人的なプレーであり、得点を取るための行動で
お客様に繋がるものではなかった。

あのぼくを小馬鹿にしていた佐伯部長は
「あいつはすごい別物だ!」と評価し、中塚さんはその後、店を離れ出世していった。
ぼくは、彼のことをよく知っていたので、入社以来、そういうことは得意でも
実際、プロモーターになったら、苦労するだろうと思っていた、
裏技や自分のやり方ができないからだ。
「おさたにさんが、辞めたら、ぼくはどうしたらいいんですか、愚痴を聞いて貰うひとがいなくなり、心の支えがなくなるますよ」 嘆いていた。
ぼくは、複雑な思いで彼の言葉を聞いたが、
やはり、プロモーターのきつさに、燃え尽きてしまったようだ。

個人主義的な得点獲得のノウハウ、そうしていかないといけないのであった。
しかし、そこには何があるのだろうか、正当な評価なのであろうけど
全体のモラルはどうなるのか、会社は変化成長するのか
ぼくは、そこが疑問であった。