(旧)すかいらーくの思い出 本文へジャンプ

125. 監査という魔物


1994年ころからか総合監査というものがはじまった

すべての掟は『監査項目』。この制度が入ったいきさつは、正当な評価ができないため、人によって基準がちがう。とか、言い出した、事業部制であまりにもばらつきが出て、事業部をなくしてしまい、要するに店舗を管理する指標とするもの、本部が全体もしくは、個店を数字で把握するものである。

監査が合格とか不合格とか、まるで大学受験のような感じ。いまだに、その制度を20年以上使い縛られているすかいらーく。そこにはどういう問題が潜んでいたのだろうか、
個人的な意見として、この監査システムは撤廃すべきものだとおもう、ろくなものではない。という話をしていると、大先輩の戸城さんが怒り出した、ぼくらが作ったんだよ。あの渡邊さんとでね、使い方をきちんとすればいいものなのだよ。
驚くべきことに、監査を作り上げた人の前で監査を馬鹿にしていたのである。
しかも、僕の天敵の渡邊部長が・・。
いまさら、ぼくはこのシステムを批判したり、欠陥を上げたり、影響をのべたところで
体制になんら影響をあたえるものではない。ないんだが、納得はいかないものだと思っていた。
ぼくらのときは、監査人は、店長をおろされたもの、どこからきたのかわからないひと
そういうものだった、店の営業が潰れてるときにこられ、パンクしてひーひー
いってるのに、助けもせずに、ストップウォッチで計測してるんだ。
なかには、切れておこる店長もいた、ほんとうにそれがいいことなの?

店は、お客さんが評価するものです、会社がするものではありません。
しかし、最低限の管理項目、雇用にかんするもの、金銭管理、安全管理、資産管理
については、やっていてあたりまえのものばかりです。
しかしながら、そのよい店とされる店ばかりであったならば売り上げも利益もでて会社は
順調であるはずです。
話かわって、エリアマネジャー制度になってから、エリアの店は10数店です。
その中で、会議が有り、会社のいうことを聞いてやってゆくのです、
しかし、たかだか10数店の店です、成績のいい店も悪い店もあります。
当初は緊密に教育して店長を育てて、数値目標を達成するというコンセプトがありましたが、どうもぼくはしっくりきませんでした。ぼにゃりとしたイメージしかわいてきません、
というのも、目標とすべきものが見いだせないのです。
リアルにそのいいとされる店を実感できないのです。
そこが事業部制との差でした、
100店の中で、さまざまな店長がいて、さまざまな数字が出てきます。
それをランクずけしていたのです、その昔、いい数値を出している店と出せない店は歴然とでてきます。そして、その数字は店の数値ですが、その店長が異動すると、その先でも同じようないい数値を出すのです、これは、その店長のノウハウがあるからです。
どんな店長でも人間ですからいいところも悪いところもあるわけです、
たかだか10数個の店の数値を見せられてもぴんときません、ましてや全店の数字のなかで何番かといわれても雲をつかむようなことなのです。
しかし、顔の見れる名前のわかる範囲で、すごい店長に教えを請うこともできるのです。
それこそが助け合いの精神、チームワークというものです。
ステータス、名誉を与えることもできるでしょう、そういう範囲で、
料理粗利の強い人、管理の強い人、営業の強い人、そういうひとであっても
悪いことがあります。そこで事例発表などで学習するのです。
毎年変るエリアマネジャーもこれはチームワークが作れるわけがありません。
半年で成果出さない者はだめだ、まさしく、松田マジックですが、急いては事をし損じる。
結果、定着する数値はできないはずです。

監査にはなしをもどすと、監査まえにだけ掃除したり、整理するのはまったくの
馬鹿げたことであり、なんにための運営なのか、理解に苦しむ。
もともと、学校の勉強も出来ないものがたくさんいて、ほとんどの社員は
監査に苦しみを受けている、たぶん、監査のために、やる。ということが
最低限の管理の仕事なのかもしれないが、そこに魅力ややりがいはあるのか

こういう積み重ねが大企業病といわれるもののひとつになり、
昔はゼロベースで物事を考え、作り上げていったのにいまはこのシステムが
社員のモラルに適合していないということに、誰も気がつかないのであった。