(旧)すかいらーくの思い出 本文へジャンプ

124. 夢野24

今日は何回も何回もあのシーンが蘇って、むかついていた

意識高く、やる気マンマンでいた自分がなんであんなになったのか、自分がわるいのか会社がわるいのか、やはり、成長する時期、管理面が強く支配的な会社になろうとしていたのか・・。

部長に辞めたいことを伝え
まあ、さほど止められわけもなく、
その年は100人以上の店長がどんどんやめていき、給与の上の店長は、どうぞ、はやく辞めてくださいという雰囲気であった。控え室にぼくがいると、相変わらず挨拶もせず、うろうろと人事担当がいた。
控え室に来て、初めてまともに話をした。
「今度、辞められるようですか、会社になにか、不満はありますか?」
ぼくは、驚いた、今更、何を言うのだろうか、
すかさず、
「なにもないですよ、独立のため辞めます」と、あっさり答えた。
そのシーンを今日は何回も何回も頭によぎった。
なんだ、あいつは!ばかか、あいつは! なんで、あんなのが人事担当なんだ。
人事部もリストラをかけられて、メンバーは全部飛ばされて、現場にいかされるのも
いた、そして、新しいひとが人事になったのはいいが、
リストラ対象か、そうか、ぼくはそう感じた。
36歳を過ぎて、古い店長と言われ、リストラするのか、
36歳なんか、まだまだ若いはずだ。
しかも、話をまったくせず、挨拶もせず、ぼくを監視していたのかと思えた。
あの人事担当がその後どうなったか、わからないが
まあ、ろくな人材の採用ができないし、現場の意見や、個人の能力、境遇など
把握できるはずもない。
まさしく、要領よく出世したやつなのかもしれない。
そもそも、神戸夢野店がどういう店なのか、どういう経緯でいまあるのか、
難易度はどうなのか、僕自身の経歴はどうなのか、
まったく、そういうのお構いなしに、

だめだこりゃ、

ぼくは、最後の組合レクの帰りのバスのなか、
『社員のご家族の皆さん、もしかすると、過労死問題がおきるかもしれません、旦那が店に出るときと、帰るときは、時刻を記録しておいてください」
と、叫んだ。
社員には、仕事も大事だが、家族も大事に、家族しか面倒はみてくれない、と、いった。

ぼくの予言どうり、数年後、二件たてつづけに過労死が起きた。
起きるべくして起きた。
殺したんだよ、言い方悪いが、まずは人事部だ。
人事部は管理していない。してるのは、昇格と配置だけ。

新しい若い人を採用すればいい、それではやがて誰も来ません、
あの、人事担当の言いぐさを今日はなんども思い返す。
嫌な一日であった。言い方一つで物事は変る。

しかし、20年以上も経っているいま、念を持ち続けている自分もこわい。
人材開発部という名前の時のほうがよかった、営業に口出しできなくなった人事、

辞めると決まってから話を聞いてどうするつもりだったのだろうか、
話のネタにするつもりだったのだろう