106. 夢野21

クレーム苦情は、事業部がなくなり、本部に直に入るようになり
相当な件数の訳のわからない物がセンターに届き、センター担当者も
月日はたつと、いらいらしながら対応しだしていた。

カスタマーハラスメントということばが、あれから20年の月日を得て
出てきたが、あのころはまだ、お客様は神様的な思想が残っており、
とりあえず、謝っておけ、のような対処が多かった。

クレーム苦情を起こさないように店を作ろうと
ぼくは1991年の新店で自分で努力してきたが
この神戸夢野を引き継いで、それどころではないのであった。
そんなことに振り回されるのであった。

今回取り上げる、カスハラはおよそ10年にわたるものであった。
ラッシュ時に、フロアーの女の子が女の2人のお客さんに激しく怒られていた。
ぼくは、見かけてすぐにテーブルにいって、
「なにか、ご迷惑をおかけしましたか?」と、丁寧に聞いた。
「そんなもの、この女の子に聞けばいいやろ!」
「申し訳ございません」と、深くお辞儀し、
女の子を連れて控え室にいった。
女の子は泣き出して
「なんで、怒ってるのか、わかりません・・」
ぼくは、
「なんもしないのに怒るわけ亡いだろう、思い出してみろよ」
「わかりません」
ぼくは、あきれて、今更テーブルにいってもわからないので
訳のわからないひともいる、そういうときは気をつけて丁寧に
対応すること、とりあえず、ぼくがテーブルで謝るから
一緒に横であやまってくれるか?
どこか気に入らないとこがあったのだろう・・。
とりあえず、訳もわからず、テーブルにいって
せっかく、来ていただいたのに、ご気分を悪くされて申し訳ありませんでした
と、ぼくがいうと、
女の子のほうに向かって
「わかったな!」
と、偉そうにいった、
ふたりで下がり、ぼくは、女の子を慰めた
どうみても日頃からサービスが悪いとか、乱暴だとか
そういう女の子では亡い・・・・・。

訳のわからないクレームとして終わった。
それが、1998年だったか。
それから、2年後、ぼくはもうその店には居なかったのだが
また違う女の子が、サービスが悪い、というおんなじ女にクレームを
つけられ、
「あんなやつ、くびにしろ!」
という電話で、くびになった。そのこも実にいい子であった・
そして、それから。
参年後、今度はフロアーのリーダーがターゲットにされ
こんどは、本部に何度も電話されて、二回めの電話で
辞め射されてた。
2人とも、ぼくに報告をしてきた。

完全にカスタマーハラスメントであった。
本部や他の人間は、ぜんぜんわかっていなかった。
苦労して採用し、忙しいときもがんばっていたのに

そして、それから数年経ち、ぼくは辞めて弁当屋を
少し離れたところでやっていた。
弁当の配達が入り、女の子が普通どうり受けたのだが
配達するおことのこが、配達できないとかえってきた
部屋番号がわからないということで・・
それからすこしたちそのお客さんから電話があり
えんえんと文句をならべ、なんで、部屋番号をいわないのか
聞かないのがわるいいうクレームをつけてきた。
ぼくは、家までいって謝った。
顔をみて、愕然とした。あの女だった・
あえて、部屋番号をいわず、クレームをつけたのがまるわかりだった。

それから、弁当の内容をひとつひとつ聞き出して手間を取らせたり
いろんな嫌がらせを受けて、最後には妻が強くでて相手は泣き出したという。

そして、すこしたち旦那さんから電話があって。
事情を聞きたいと,説明した。
「うちのは気の病があって、すいません」
とのことだった。それからnすぐに引っ越しをしていなくなった。

やっぱ、そういうことだったのか・・・。
犠牲になった、従業員3人。
クレーマーという名前がではじめたときだった。

お客さんとぼくらは同等で有り、へりくだる必要も無い
お客さんは神様でも亡い。
これは、大切なことだ。
よく、スーパーとかで、怒鳴ってるじいさんとか
いろんな人の話を聞くが、
気が折れそうにもなるが、奴らに相手になるの馬鹿げたことだ。

しかし、あるとき、吉野家の店長と話す機会があり、
そういう訳のわからないクレームはもっとあるという。
でも、その数は1%程度であり、そのほか99%のお客さんは
普通で有り、大事に大切にすることは必要である。