101. ワンMへの道。

大川原さんが関西にいたころから、ワンエムの実験は行われていた。それよりもすかいらーく時代に、三人体制が当たり前の頃から、伊丹桜台の今津さんなどが、やっていた。
社員ひとりで店を切り盛りするのだ。
結果的に、伊丹桜台はその後、崩壊し、三人体制にもどるが
芦屋では、西口さんがやり始めていた。
社員ひとり、店長一人で店を運営するなんて、どう考えても
不可能に近いとおもった。

コスト削減ばかりやらされているので、人件費のことは
常に頭がいたいものであった。パートバイトの寿命は高校生で半年もてばいいほう、大学生は何年か、それを繰り返し繰り返し
新しい人財を採用しては仕事に慣れさせて、また、辞めた、
また、採用下の繰り返し、永遠の素人集団。
一番怖いのは、クレームであった、危なかったしい営業を
させては行けないし、対処できる有能な人財をおいておかないといけない。

しかし、当時2M体制をやり始めた頃は、二番手の社員の行動が
店の是非に繋がり、有能な人間はすぐに店長になったが
無能に近い社員が、ころころかわり、店長の足を引っ張ることがあった。誰もがその頃理解していなかったが、2Mであるからには
2人の社員はほぼ同等の能力がないと、店の運営は、困難、
なぜなら、土日以外は一緒に仕事することはなく、
指導する、ということが難しいからであった。

会社としては、一人あたり平均50万の正社員を減らすことは
濡れ手に粟の利益増で、やって欲しいのはあたりまえであった。

ぼくは、もちろん反対であったが、
一番ヤバイのは店長自身であるとおもった、
営業に入らなくなる。誰も教育しなくなる。お山の大将
もしくは、裸の王様になる。
具体的ではありませんが・・。

寺坂時代は三人体制でもぼろぼろの神戸夢野であったが
それを無理からに、二人体制にして、欠員なのに・・。
そこにきて、太田部長の時給アップ作戦、
しかも、競合店の出現で、売り上げダウン。
採用はどんどんでき、まともな人材に溢れてきた。
苦労した甲斐あって、
やはり、そこで、あるのは、
「夢野はいつ、ワンエムにできるのか?」
という課題がでたのであった。

問題は山積してるのだが、ナイトが垣さんのような人材がいて
ランチはやっと採用できて、ぼくが入らなくて済むまでになった。
フロアーもランチもほとんど居なかったのに、
問題は社員がいないときの、危機管理。
これは、在日の李さんという女の子が居てくれて助かった。
彼女は、みんなからはよくは思われていなかったが
ぼくは、彼女のやる気やモラルにはひと目おいていた。
だから、その存在もあったので、
「ワンエムできますよ!」宣言をした。

というのも、社員で送り込まれてくるのがすぐに異動したり
モラルの低いものだったり、それで店作りはぶれる。
それなら、時間帯ごとに責任管理をさせてやればいいし。
まあ、やりながら考えるということであった。

他の店の店長は、驚いたようで、あんなにぼろぼろの店が
一気にワンエムになるのは、信じられないようであった。
太田部長はそこが作戦のようで、
「夢野がやるのだから、ほかの店は当然である」
ようなことを言い出した。

しかし、やり始めると大きな問題が起こった。
レジの金が合わないのである。

ぼくの休みの日に限って、ランチで5000円単位で
三週間おきぐらいに、金が足らなかった。
当初は、李さんが自分の財布から補填し続けて
ぼくには内緒にしていた、とうとう、それも限界がきて
ランチの過不足が出始めた、入ってるメンバーに面接して
いろいろ聞くが、そこは難しい問題。
まじめなひとは疑われたと泣き出すひともいた。

数ヶ月か、半年か、起きた。
太田部長は異動し、新たな部長が替わり。
無理から必要ないのに、社員を投入されてしまった。
それでも、ランチではレジから金が抜かれた。

社員の女の子は、他の店長からの入れ慈恵で
おとり作戦をすることにした。
自分の5000円札を金庫内で増やし、そのお札には
鉛筆で自分の名前を書き、
レジチェックと、金庫内金額をも確認させた。
しかし、その後。
「異常なしです」と、その女は報告。
それで、女の社員は、
「おかしいですね、わたしの5000円がないですね」
と、問い詰め、身体検査までしようとした。
警察を呼ぶかどうか、いままでのことをどうするか、
それよりも、その女をはやく辞めさせないといけない。

女の社員は、この件は内密にして、2人だけの話にして
「わたしはどうすればいいですか?」
と、聞いてきたので
「店長にもいいませんから、転勤か何かで急に辞める
ということのしましょう」
と、嘘をつかせ、辞めさせた。

その件が終わったあと、ぼくに報告してきた。

その一月前にも金が抜かれて、
そのときは頭に血が上り、家まで押しかけたことがあった。
家までいくと、表まででてきて、しかも、
子供を抱いて、上の子の手を引いてでてきた。
ぼくは、やられた、と、思った。
そんな、子供の前で、非難することはできない。
やんわりと、お金が無くなったのだが、知らないか?
としか、聞けない。
そこにバイクでご主人が帰ってきた、悪そうなやつだった。
家はそうとうぼろそうで、
仕方ないので、帰るしかなかった。

ぼくは刑事ではないし、本当にまいる事件だった。
後にも先にもこんな手癖のわるい主婦は初めてだった。

他のメンバーは、それから、パチンコ屋でよく見かける。
と、いっていた。
さらに、サラ金数社から、電話があり、
「辞めましたよ!」というと、驚いた様子だった。
また、恐らくどこかで罪を重ね、刑務所にいくだろうと思った。

ワンエムをしだして、格好のチャンスと思ったのだろう。
それまでは起きなかったことはたしかだ、

土地柄もあるだろうし、起こるべくして起きたこと。
恐らく、新部長は、その女の社員を評価し
ぼくのことを馬鹿にしたと思う。

ワンエムをしたのは半年もなかった。
結果、そこで、採用しすぎた部分もあった。