すかいらーくから、ガスト転換

自分が、大卒新卒ですかいらーくに入社したのが、昭和59年春。日本経済の発展とともに店舗数は格段に増え続け300店舗を達成し、二部一部とも株式を上場。飛ぶ取り落とす勢いであった。
太平洋ベルト地帯を中心に店を出し、関西は5年目のときであった。
右も左もわからず、高校生やヤンキーバイトにあごで使われながら、烈しく毎日を送っていた。おそらく今も昔も変わらない、研修と言う名の期間をすぐにすぎ、放置されたまま、自分で仕事を覚えていくのであった。
新規店舗や改装店舗でも、新人訓練やリーダー育成に苦労し、5年過ぎでやっと店長になれた。
店舗にこだわりや、会社の進めていたユニットマネジメントも熱心に行い、6年目で新規店舗を任された。
すごくうれしかった。2月から5月末まで休まず、QSCの高い店を実現しようとがんばった。
いい社員をもらったせいもあるが、自分では力をかなり出したつもりだった。
バブルが崩壊した。売上がどんどん落ちていった。すかいらーくは、常に利益優先、人件費と料理あら利率の差異を重視する、人件費率がユニットマネジメントのせいでかなり上昇してきた。仕事をしないふるいメイトでも高い時給をもらっているのも問題となった。まかせっきりで働かない店長や社員が問題となった。
実験をしていたガストが好調で、売上の低迷している店舗をガスト転換をすることになった。

なにがなんだがわからないうちに、1年かけて作った自分の店はすかいらーくでなくなった。
こだわりを捨てよ、と言う。絶対的な客数の確保でそれに邁進せよという。
価格破壊、デフレスパイラルの原因のひとつが、「 ガスト 」である。当時、ファミレスの価格はうなぎのぼりでどんどん単価を上げていった。家族で食べにいっても、万札でおつりがすこしの程度にまでなっていた。
おもえば、あの当時、1993年である、マクドナルドは、 「 バリューセット 」を売り出した。ガストの価格戦略に対し、品質のお値打ちを打ち出した。しかしながら、マクドナルドは低迷を続け、価格破壊をし、半額セールや100円セールを実施。時代を読む力はあるが、低価格勝負は体力戦、利益渇水は必ず来る。その後、現場は荒れ、店舗もあれ、客層もあれ、建て直しに時間がかかり、赤字を食らう。当然の方程式。
吉野家の惨状も然り、巨大化した店舗数を背景に価格破壊による業界の戦線を混乱させたかったのだ。

ガストが、すごかったのは、店舗組織、本部構造などの無駄をなくし人件費率の低下に努めたことであった。
先ほどのユニットマネジメントであるが、これをいかにつぶすか。まったくいままでのやりかたの逆の施策がはじまった。いままでの時給体制は10円から150円まで刻み、50円UPのリーダーと、150円UPのリーダーを作り、その時間帯の管理者をバイトパートから選び出し毎月、会議をして具体的に動いていく。このユニットはうまくいけばすばらしい人材の能力を生み出し、完璧な店舗作りをおこなうことができた。しかし、そこには問題点が隠されており、社員たちのサボタージュや、無法地の準社員天国、人件費の高騰が、危険。人件費率は30%をこえ利益をかなり圧迫していった。
ほんとに、不思議な会社であった。あのガスト転換の成功は実は、作り上げたユニットマネジメントで力をつけたバイトパート達が、1年後に全部時給を下げると言われても、店長を信じてGパンをはいてがんばったおかげであった。彼ら彼女らがいなかったら、おそらく、ぼろぼろの営業をしていたことだろう。
皮肉なもので、自分がすかいらーくでがんばっていたころ、控え室には事業部や本部から表彰された賞状を
たくさん飾っていた、ある意味、それがプライドでもあった。
しかし、すかいらーくが閉店し、ガストになって、新たなる転換の部長が来た、
初日、その控え室の賞状を見て、こういった。 「 あーー、この店はたいへんだな・・・」
どういう意味だ?ぼくは考えた、そして、聞いた。
「 それはな、価値観を変えるガストではむずかしいということだ・・」

おかしなことを言う輩(部長)であったが、従業員には、決して言えなかった。
そのあたりが、一番の間違いであったと思う。なぜかというと、いまの状況をみると理解できよう。

ガスト転換で大規模リストラが全社で進行していく背景には、グループの会社の怠慢さやリゾート開発の失敗のつけなどがあった。入社したころ、ロイヤルがサッポロでホテル経営に乗り出した。そのとき、ぼくは社長のせりふを覚えている。「 ホテル経営なんて、やるもんでない、利益率が低いものだ・・」
といったうたのに、現場がしらぬまま、グァム島二アルペンピーチタワーなど作って、結局解散させた。

ダイエーでも同じ現象がおきていたが、グループ化を推進し、内製化を図りすぎるとろくなことはない。
「 なーなー現象 」である、
グループ化と内製化については、すかいらーくは東松山工場の建設を投資し実際に大きな目的を達成した。
ハンバーグ、ドミソース、ドレッシング、ポタージュスープ、ベシャメルソースなど、手のかかるものを工場で一括して作る、セントラルキッチン方式を採用した。かなり危険な当時としては破格の投資金額で、当時のことを振り返るのをきいたことあがるが、「失敗したら、商品工場でデパートでも納めよう。」ということであった。

このことで、おおきく革命的であったのが、プロであるコックの採用をしないですむのである。コックの世界はむずかしく、管理もできにくい分野で人件費も高い。当時、コックレスキッチンといった。20数年前のレストランの経営としては常識では考えられないものである、そういうことを考えれば、横河3兄弟のガスト転換の決意はありうるものであった。
しかしである。ユニホーム管理や売店品など、業者さんが出入りするものなどを自社したり、自分の店舗のメンテナンス、建設なども自社でやりだした。自社でやりことはいいのだが、あまりにもその会社たちがいいかげんなのである。たとえばひどい例として、関西のユニホームの洗濯や管理の会社の話がある、
以降、きがむけばかきます

2006.6ガスト訪問で感じたこと
2006.9ガスト訪問で感じたこと
2006.9中島さん過労死におもう