78. ガスト転換  6

ガストになって、全てが変わったように感じた、価値観もすべてだ、
そんな中でも、落ち込んでいた大川原さんは果敢に仕事をこなしていた。
あいつには負けない!
負けないという気持ちが強いひとだった。
たとえば、組合で、ボーリング大会にいくと、絶対勝負事は負けない。
ゴルフでもそうだ。
組織としてどうなのか、会社としてどうなのか、
そこが違う。

尼崎立花で、率先したある道具が採用された。
ベルスターである。


お客さんが入店後、オーダーが決まったら押していただく、
受信機があり、そこの画面に、卓番が映る。
それだけの代物であったが、
ぼくは、これで、考えるフロアーサービスは変わったと思った。

ガストは低価格、価格破壊を行う、そのためには人件費を削減する。
フロアーの「案内」「オーダー受け」などの手間を省くように、
お客さんは好きなところに自分で座っていただき、
当初は、お冷やとシルバーをもっていき、
決まったらボタンを押してください、とつげる。

だから、ボタンによって作業が左右され、最優先で動く。
酷いときはボタン押されて、このテーブルを片付けろ
と、入店をしらずにいる場合もあった。

ヤンキーの客がいたずらで押したり、ベルスターなどの備品を
持って帰ったり、満席時は・・。
当初はどんな平日でもかなりの入店が有り
満席になる、それで、3人か、下手すりゃ2人で回す。
100人くらいすわれるので、もう、運動会のようだ。
入退店を見落とす場合もある。
だから、ガスト転換後半年は、食い逃げが相当起きた。

フロアーをいかに回すか、が課題となった。
大川原さんは、先出しをつけるように、言い出した。
日曜なら前がふたりで料理運び一人だが
前を一人で、オーダーを取りまくり、一人は先出しを行えというのだ、
先出しは、ドリンクバーのカップと、サラダと、スープや麦酒などを
もってゆくのだ。

みんな、どろどろになりながら、ごみをけちらしながら
ひたすらあの重い鉄板を運んだ。

それでも、人件費を削らない店長がいた。回せないという理由で
神戸夢野の鈴木店長だった。料理バックを二人付けですかいらーく
なみの人を投入、
そこは、イエスタディ転換店で160席くらいはいルばかでかい店。
いくらでもガストブームで、限界ぎりぎりの他の店、これ以上は
客数入らないというときでも、平気で1200とか1400とかの客数をはじき出す。
しかし、本部の意向では、だめなのであった、
人件費を使いすぎで、というか、それが適正であるのだろうけど
他店では効率よくやって、数字を出していても、接客生産性という
指標と、売り上げに対しての人件費率をオーバーしてしまうのだった。
部長は頭を抱え、どうするか悩んだ。
若い店長に変えて、一新するしかない、そこで声をあげたのが
ぼくと寺坂さんだった。
しかし、ぼくは外され、寺坂さんが神戸夢野に配属され
がんがん辞めさせた。

ぼくは、呆然と、ガストの営業をし、全くやる気が失せていた





今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

注意、このページはすかいらーく本部さま、会社さまとなんら関係のあるものではありません、

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