FM FREEZ

小山コーポという下宿で、友人の東君が事故で亡くなった。
その部屋の翌年、大江というこがきた。
彼は英米語の勉強し、ESSにも入り、デベートなどをしていた。
が、2年になり、クラブがいやになり、辞めてしまった。
ぶらぶらし、モラトリアム状態の彼に助言し、サークルでも作ったらどうか
といった。
彼の音楽好きはよくしっていたので、「 ミニFM でもやればどうだ?」
と、言ったら、のってきた。友人の岩崎君も同調し、ぼくは4回で忙しい身
ながら、参加することになった。
なんにしろ、ぜんぜん、ノウハウもないので、人集めからはじめた。
まずは、DJの女の子を募集するためにビラを女子大で配りまくった。

ときは1983年の春、TBSドラマの 「 ふぞろいの林檎たち 」がはじまった頃。同じようなことをしていた。

人は集まったが、問題はどうやって電波をとばすかであった。
大江がとりあえず、日本橋にいくぞ、といったが、さっぱり判らず。
キットをそろえたが、自分たちで出来そうにない、不安が募る。
見ると、電気大好き少年がいた。その少年たちに、回路図をみせ、抵抗器や
コンデンサーについてせつめいを受け、パーツを揃えた。

そこで、ぼくたちは、彼らにその、電波を飛ばす機械の製作を依頼した。
報酬もするからたのむ!
彼らはOKをし、連絡先を聞き、解れた。

数日たって、下宿に その小年の母らしきひとから電話がきた。

こっぴどくおこられた。
「 勉強もしなければならないのに・・・」
多分、回路が難しくて母に泣きついたのだろう。

岩崎と大江と相談をし、未完成の機械を回収にむかった。
当然、報酬もしようということになった。

近鉄を乗り継いで、少年と待ち合わせ、
「 ごめんな、わるかったな。」
と謝り、報酬を渡した、

機械を持ち帰り回路図を見ながら、岩崎が製作することにした。
しかし、われわれは全員、外国語学部であった。
出来るわけがない。当然であった。
7月から8月にはいるところで、完成したようであった。

「 電源をいれまーす。」
と、つかれきった岩崎は、プラグにコンセントを差し込んだ。

煙とともに大きな音と花火がでた。
機械は、お釈迦になった。

9月開局目標が。局長大江のひとことにより
「 10月に変更!」
結果、市販の飛ばす力の弱いトランスミッターを4台購入し、あちこちの下宿で
ラジカセからテープを流し、電波にのせることにした。

「 こんなんで、聴く人いるやろか?」
そういいながら、番組制作にとりかかった。大江局長は見違えるようにテキパキ
と指示を出し、名誉局員のぼくにもダメだしをだしまくった。

番組はオンエアされ、まったく反応がなかった。
しかし、サークルのメンバーの精華短大の石原がバイト先の喫茶店のオーナーがスポンサーになり、強力なトランスミッター購入のめどが立った。
局は、京都市北区小山元町、なんとぼくの下宿のイッシッがそれであった。
強力な電波は、7キロ以上とび、電波法イハンとなった。いつ摘発されるのか心配だった、自分のステレオをすべて局に提供し、摘発後はいっさいの没収。

画像はぼくの番組での、メンバーの放送風景。なんと、一回目からきいてる高校生がファンとして訪問された。放送を聞いてサークルに参加した仏大の長縄君、
のちに、彼は放送暴走し、サークルを追い出された。

放送は10月にはじまり、毎晩行われた。11月になり、あるスポンサーから
放送ブースを貸すからうちでやってくれ、といわれた。
大江局長は喜んで飛びついた。もちろん、卒業を控えたおれが、いつまでも
下宿にいれるはずもなく、放送局の行く当てもなかった。

ぼくは12月24日、東君の命日に最後の放送をし引退した。
小山コーポからの放送はそれで最後になった。

サークルは、その後数年はがんばってやっていた、ゲストにデビュー前のちぁえーカーズがくる話が来たり、後輩から、放送局に入ったものもいたり、サークルの中で知り合ったものが結婚したり、エピソードは絶えない。

いろんなトラブルもあった、のちにクラブ員のメインはさんだいがおおかったが
東君の母校の同志社にシフトしていったり、
スポンサーに、ブースをおいだされ、またもや流浪の放送局になったりしていた。その後は、まったく知らない。
楽しい、良い思い出であった。人と出会うことによりいろんなことが生まれ、いろんな人に影響を与える。

後日談として、いつかまた放送局をしたいと想い。電波を飛ばす機械を京都まで購入しに行った、夢であった、しかし、仕事が忙しく、出来なかった。引越しをくりかえしてもその機械は大切に保管していた。最後の結婚の引越しのとき
忽然となくなった。妻に聞くと

「 ああ、アレ、捨てたよ。」
中身のことはいいだせず、思い出と夢だけが残った。


左が貴重な高校生 。左が長縄君。放送局のアナウンサーを目指していたがおちまくり留年。
その後の消息は不明。

放送風景。ぼくは←。就職が決まり、パーマ禁止され、へんな髪となる。

楽しい放送でした。おそらく、リスナーは20人くらい。
なたにくん。よくがんばった。

危険な雰囲気。止める人いない。
大輔はなことちがいます。
岩崎とぺこちゃん、岩崎よくがんばった。大江君のよき友達。
このアンテナで電波をとばした。よくとんだ。