にでなかった、オフコース
かたくなにでなかったのは、多かった、松山千春もそうだった。ちー様が一回だけ
でたことがあり、そのときは、コンサートから、「 俺の作った歌に何点とかつけねべ 」 といったのが」印象的であった。しかし、ぼくは、当時、まったく矛盾した人間で
オフコースも大すきだが、ベストテンも毎週、見ていたのだ。なんで、でないんだ。
まあ、ぼくも一人でこっそりきいてるし、そうおもっていた。
でも、今も思えば、よくわかる、出ない意義を。もういまや、国民的ヒットなどは存在せず、みんなが好きな歌を聞く、それでいい、感じだ、
1978年6月、おそるべきやつらが出てきた。SAS、サザンオールスターズであった。僕は忘れもしない、NHKFMの土曜リクエストアワーで、推薦版でながれた。
「 勝手にシンドバット 」 なんだこれ?shィ邀撃的な彼らは、ヒットを連発し、
ベストテンにもでまくっていた。
フォークから、EMI戦略用語ニューミュージック・・そして、テレビや視覚的なものを含めてJ−POPへと、変遷してゆくのである。
オフコースはさよなら 以降、ヒットを出しまくり、なにしろ、LPがすごい売れて、
コンサートといえば、死ぬほどはがきが来る、武道館10日間やって、追加に横浜アリーナやろうかというぐらいに国民の少女たちは、小田さんの恋の歌に酔いしれた。
しかし、徐々に時代が変わり、MTVのHITなど、音楽の洋楽ブームがきた。
1982年、6月20日、オフコースは鈴木の脱退により休止。
それでも、サザンはヒットをだし、ベストテンにでて、つぎからつぎへと僕の耳には
新しい音楽が入ってくる、そのときには、オフコースのことは、もう記憶にない。
大好きだったLPの一番奥にゆき、CDというものが登場し、山水のでかいアンプや
レコードは時代遅れになってしまった。聞かなくなった。
小田さんががんばって、可能な限りと、もう一度オフコースをはじめても、
仕事のほうが大変で、実をいうと、解散も知らなかった。
僕の中で自然消滅。
で、最近になって、聞くと、なぜに、新鮮でなつかしく、じーんとくる?
不思議だ、
久米宏が、今週も オフコースのみなさんは、でません、
と、毎週あやまっていたのを、思い出した。
彼らの生き方は実に、人間くさく、正直で。いまになって、よくわかる。
さよなら が売れるだろうと、予測してつくったらしい、あまり、あの歌はきらいらしい。小田さんらしいのである、しかし、あのさよならの71万枚のヒットがるからこそ
いまにしても語られるし、いろんなひとの、思い出に残る歌にもなる、
あのヒット、を目指すために、いろんな苦労を重ね、やっと、売れたら、やっさんが辞めるという、皮肉な結果となった、
もう、決してオフコースは再結成っしないと、小田さんは何度も言う、頑固な彼だからたぶんそうなんだろう、
後ろを振り向くことも少し大事とリメイクして歌を出し始めているが、彼はやはり、あの苦労がトラウマなのだろうか?
いやちがう、あの時代をそっとしたいのだろう、