東 俊一君 しのぶ会
1982年12月22日水曜日
自分がいた下宿、小山コーポのメンバー東君が
1981年12月24日夕刻5時過ぎに北大路交差点において交通事故で死亡しました。当時まだ21歳でした。友人も多く、明るい性格でした。
下宿のメンバー、同志社のメンバー、地元福井のメンバーがあつまり彼をしのんで飲み会がおこなわれました。

追伸 彼のことを検索してたどり着いたあなた、メールください。

右から当時4回生鍛治さん、川栄さん、小林さん、?です。鍛治さんはやせてます。下宿の先輩です。一番長く小山コーポに在籍した1年から4年まで、唯一、大家さんの気に入られ記憶されていた。ますずしの効果かもしれない。東君とはおなじ年であったが、東くんが浪人したためかじさんと呼んでいた。
東君が事故でなくなるまえに、下宿でおくりだしたのは鍛治さんだった。よく飲んだ。良い先輩だった。

真ん中のめがねが米澤くん。東君のサークル「アップル」のリダー。
福井の友人小林君。
かれがここのバイトをやっていた。
京都北白川「居酒屋 ん」 ここで東君はバイトしていた。ここのバイトに出勤途中にバイクとトラックの
出会いがしらの事故でなくなった。しかも、クリスマスイブであった。クリスマスイブになると彼をおもいだすのはきっとみんなであろう。
京都 北白川 ん いまでもその店はあった。
検索してみたら、チェーン展開され ん があちこちに・・
すごいです。
http://www7.ocn.ne.jp/~n-home/
川栄さん、

みんなでうつすが露出不足。

美人にはさまれ喜ぶ鍛治先輩。

左から小林君 大江君、吉本さん ? 西野君。大江君は東くんがなくなったあとに彼が入居してきた新人で
東君のことをまったくしらない。彼に東君のことを半年ぐらい言えなかった。それにどこかおもかげが
東君ににていて逢坂君らとびっくりした記憶がある。どちらも、田舎ものだったのである。


飲み会は楽しく行われ、2次会へと・・
東君はきっと、部屋の様子をみていて、参加していただろう。
おれの飲み会なのに・・とぐちをこばしながら


もとさんの口はその後問題になりました。

明るい米沢君。実家は震災で・・?

風呂のない、汚い下宿であった。大家の親父はいつものんだくれで飲酒運転しまくっていた。
東君は、友人から借金して買った、おきにいりの唯一のコート、何とか言うダウンjジャケット、
名前忘れた。を着て交通事故にあい、そのおきにいりのj服は血まみれであった。
TULIPの歌を聞くと、思い出す。「 青春の影 」、歌が好きで、からをけに行く前の日は練習をしていた。
なんで、彼だけが死ななければいけないのだろうか?その思いはいまだに続いている。
しかも、クリスマスイブの夕刻。その時間近くなると時計を見る。数年間は現場にいって、お酒を巻いたりしたが
転勤で遠くに行き、いけなくなった。現場の近くにあった、すし屋さんやいつもお花の水を変えてくださっていた
おばさんはどうしているだろう。いまの自分の近辺でも、若い人がバイクで事故でなくなるのがあった。
その場所にも花を飾るひとがおる。もう何年たっても、同じ光景が繰り返されている。
それにしても、あの東君をはねてしまった学生はどうしているだろう、皮肉なことに僕と同じ学生であり
しかも、同じ大学。バイトで年末のトラックを運転していたらしい。東君が死んだ病院でその学生の母と
加害者のひとがいた、がその光景は目に入らなかった。彼はこの20数年、どういう人生を歩んだのか
ふと、思うことがある。
東君が死ぬ数日前、下宿のみんなで忘年会をした、からおけにもいった。いまのようなのでなく個室でなく
みんなの前で歌うのだ、僕は東君と「 万里の歌 」を歌った。東君が、サークルの女の子に振られた話や
楽しい話をして、大学2年の12月だった。
彼を思い出すたびに、涙が出る。
「文通相手に・・」
彼が死んで次の年の春に、小山コーポに 「東 俊一 」あての手紙がきた。暗い入り口のしたにおちていた
。彼が生前、文通をしていた東京の女子高生であった。大学のサークルで旅先で知り合い、その後何回か文通をしていたらしい、
みんなで相談したが、どうするかなやんでいた。今の自分なら、そのままにしてわからないようにするかもしれない、
しかし、昔の自分はGWに東京の友人に訪問かねて、直接手紙を返却しようと考えた。それと、彼が彼女に書いた手紙を
コピーし両親に送付してほしかった。
住所をさがしてはるばる東京にいった。何とか、近くまでいったが、肝心の電話番号がわからず、電話ボックスで
電話帳をめくり、何とかみつけて電話した。お父さんらしき人が出てきて、ことのしだいを伝えた。
しかし、さすがに彼女も急なことで混乱し、対応できなくなり、翌日、友人二人と会って手紙を返し、京都に帰った。
複雑な気持ちだった。わざわざ行く必要もあったのか、現実を突きつけて文通相手の女の子を傷つけてしまったのか
、馬鹿なことをしたのか、葛藤の中、新幹線の中で反省した。今思うに、彼がもしあのこと結婚してたらどうなってたことだろうか、
きっといい家庭を築いていたろう、彼女のお父さんもいい人だった、俺の話もきちんと聞いてくれた。
もし、彼が事故で死ななかったら。。もう、高校生の女の子も40数歳か。きっと、お母さんになってることだろう。
東君のことをおもえているだろうか?
もう彼らは40代半ばになり、どうなっていることやら。この集まりは
なんか、東君の明るい人柄をつたえるように明るい飲み会であった。しかし、みんな
二十歳前後だったのでかなりの精神的なトラウマであったろう。
もう一度、再会しよう。そう思う。あの ん で・・