犯罪はなぜ起こり、なぜ悲劇は生まれるのか?
化学方程式や運動力学のようには簡単な方式が得ない。
今回、秋田小学1年生殺害事件についてであるが、犯行に及んだとされる畠山鈴香容疑者(33)は、犯行後、テレビの取材の独占インタビューを見て思ったが、顔の表情が
特異であった。自慢げというか、何かに満たされているというか、満たされない自分の何かの不満足な部分が充足されているような感じだ。
犯行後、マスコミは取材を行い、鈴香容疑者のまわりをとりまくその表情もおいはらう
表情は鬼のような面である。怒りに満ちている表情である。

社会に属する人間のほとんどは、社会の道徳や流れ、近隣の住民との付き合い、
仕事などの付き合いをこなし、適合し生きようとする。
社会に不適合な人間は、日頃から反社会的な行為をおよぶことにより自分の立場を
同一化レベルに保とうとしている。
垂れ流しのテレビの情報が、悲惨で悲劇なものであったとしても。反社会的な人格で
しかも感情や愛情をもちえない人間だとすれば、犯行を促すもしくは奨励、方法教育となりかねない、別のページいおいても述べたが情報化社会における模倣犯はこれからも発生し続けることであろう。彼らマスコミを制限する理由は正当さにかけるからである。
では、どうすればいいのか。今回のように、一番信頼すべき近隣の母親によって殺害
されるということは、到底ありえるものでない。近隣の彼女の風評などがわかればいいが無理であろう。
徹底監視社会でも構築しないと無理であろう。信号機なみの監視防犯カメラとそれをみる監視員、保存用のDVD.。盗聴器の設置。すべて、自由主義の国家では実現不可能なものである。
それでは、つぎからつぎへとおこる少年犯罪、少年被害犯罪をどう防げばいいのか?
手をこまねいて、とにかく、めをはなさない!だけでは、又誰か殺されてしまう。
犯罪は心が起こすものであり、ほとんどの犯罪はIQが低かったり、PQ(HQ)などの異常がみうけられるらしい。防備を完璧にしても監視カメラをつけても、犯行の重大さや
自身の人格が喪失した人間がやぶれかぶれでおこなえば、ふせぎようがない。
子供たちも、心の不安を常にいだかせることになり、このことが重大な問題として10数年後トラウマ社会として移行してゆくであろう。
吉川友梨さんが誘拐拉致されて3年も立つ。まったくの手がかりが皆無で捜査しようがない、チラシも何百万枚自費で配布。おかしい、必ず、なんらかのでがかりの情報をもつ人がいるに違いないはず。テレビのチカラのような番組にはおもしろがって電話するが強制されるような情報提供には協力しない。無関心社会であり、社会全体の人格が衰えた人間性であるようだ。
この犯罪は子供拉致殺害の頻発にきっかけになった未解決な問題である。
自己演技し、衆目を集める欲望を満たすために畠山鈴香容疑者は殺害したのであろう。だから、何回も犯行供述がひるがえることであろう。その目的は混乱させて警察や社会に報復するためと推測する。
貧困な家庭は母子家庭におおい、立派に子育てしている人がほとんどだがだらしない人生を歩むひともいるだろう。育児放棄するまでもなく、人殺しをするような人間は
どんな原因も分析も的を得ぬくいのであろう。

追記
結果的に自分の娘も殺害したと報道があった、
おそるべき人間である。彼女の悪人ぶりを報道は流しているが、最初からテレビのちからに、投稿した時点では、利用しているようであった。
子供が親になり、又子供を育てる。幾重にも幾重にも繰り返された歴史。
人類はそうして、動物として命のバトンをわたしてきた、
ぼくは、無意識の潜在意識の中の中核的なものは、親の無償の愛であるとおもう。
自分を育ててもらった。生んでもらった、愛情をくれた。思い出をくれた、
精神世界の風景の中で、親に迷惑かけない、自立した社会性のある意識が育つのはそういう背景があるからであろう、
おそらく、そういうのが一切なく、自己本位、自己中心的な子供のままの精神であったんだとおもう。同じような連鎖がおこるのであろう。
悪魔とかそういうのは、昔からこういう人をさしていうんだろう、
しかし、その病んだ精神の背景を生んだ、祖母がそこにいることを忘れてはいけない。
追記2
本当にひどい事件だった。

鈴香容疑者のバッシングがまだ続いているが、彼女が今にいたった経緯を少し知ることができた。
先日のテレビで、彼女の卒業文集をみた。
ひどい内容だった。紹介する教授もひどいひとだが、それをテレビ局に売り渡した高校の先生、
いじめを行っていた同窓生の内容、今のコメント、すべてひどいものだった、

循環する悪を感じることができた、

秋田の町にはわるいが、閉鎖的な陰湿な印象をもった。

まず、どこかわからない大学のきゅうじゅさん、ぼくにでもできそうな思考のコメント
をどうどうとおこなった、これで、彼女の反社会的な人格がわかります、
誰でもわかるは、なぜにそうなったのか、なぜ、嫌われいじめられたのか?
いつから、そうなったのか、
犯罪はわるいし、子供を殺すなんて、それも許しがたいが、
そういう人間でも、高校を卒業しようとし、卒業できた、
その点でも、何とか、努力しようと心もみた結果であろう。

しかし、氏ね、とか、もう秋田にかえってくるな、とか、ひどい。

そういう文集を平気で出す先生、それを、マスコミの売り渡す当時の先生、

救いがたい人間、教師ではない。かれは、おかしい、彼みたいな人間が鈴香をつくった
防げようがあった、だれか、心の支えをもてるひとは、いなかったのか。

境界性人格障害のようにぼくは思う。精神疾患である。当時からそうであったのだとおもう。
この疾患は、ジキルとハイドのような人格があり、その境界をいったりきたり、
ものすごく攻撃的になったり、反社会的であったり、認められたに阻害されると悪事をし
注目されようとする。

鈴香容疑者の脳の一部か生まれながらにして海馬の一部が変質し機能不全であったのなら
物事の判断はできず、グループに参加して行動することができなかったろう、
しかし、救いの手や感情を抑える薬剤の投与がおこなわれていれば別だ。

社会が混乱する事件が多い。
こういうのが多い、いろんな評論が行われているが、本質が理解できない。
なにか、裏の大きなきずいていない社会的な原因が別にあるような気がする。

鈴香容疑者は、死刑になるべきであろう。彼女もそうあったほうがいい。
しかし、又おそらく残酷な事件が起きるに違いない。彼女を死刑にしてバッシングしても
なんら、この社会は教訓にせず、興味本位で情報を垂れ流す。

最大の犠牲者は近所のごうけん君だが、ぼくは鈴香容疑者が
最大最悪の被害者のような気がしてきた。
罪を憎んで人を憎まず、そのことばをすこし、かみ締めた。

あのひどい、文集と先生が現れてからそう思った。

冥福を祈ります、天使になったほしい。彩香ちゃん、ごうけんくん


秋田小1男児殺害事件